アラサー、母校に帰る
パートへ向かう途中、高校生の名札を拾った。
拾ったというよりかは、植木に引っかけられていた。
かわいらしい女の子の顔写真が貼ってあるし、悪用されるかもしれない。
これからパートで帰り遅いし、最寄りの交番は遠いし、日曜だから学校に電話しても繋がらないし・・・。
見て見ぬふりをする気で一度は通り過ぎたが引き返した。
学校名が私の母校で、同じ通信制コースと書いてあったから。
案の定学校に電話が繋がらないので、一度自宅に持ち帰り後日連絡することにした。
後日、電話したらやはり在籍している生徒だと判明。
名札ではなく学生証で大事なものらしい。
自分だって過去に首からぶら提げて授業聞いてたのに卒業生ってアテになんないなぁと思った。
「郵送か学校まで届けますよ」と言ったら電話越しの教員は困ったような感じで、
「届けていただくか、後日本人に取りに行かせます」と言う。
面倒なことになってしまった。
郵送で済むならそうしたのだが、なんだか郵送はタブーみたいだ。
母校は駅から徒歩結構あるんだよね、今生理でだるいし暑いし・・・。
かといって本人にウチのアパートまで来て貰うの恥ずかしいしなんか嫌だ。
結局私が届けることになり、炎天下の中家を飛び出した。
学校周辺を歩くのは10年ぶりだ。
母校には良い思い出はないから周辺付近も避けていた。
高校に馴染めなかった私は、本格的にイジメに遭う前に通信制コースのある母校に転入した。
当時私が転入した時は通信制コースは出来たばかりで学年合せて10人もいたか怪しいくらいだったが、自分が3年になる頃一気に新入生が15人くらい入ってきた。
結局半年もしない間に1年生の半分は授業に出なくなったけど・・・。
週1の通学だったし、服装髪型自由。
授業というか自習みたいなもので非常にゆるかった。
規則が守れない、勉強について行けない、学校に馴染めない落ちこぼれが高卒の資格が欲しくて通うような学校だった。
幸いにもつるむ友人は出来たが、私は卒業式の打ち上げの焼肉で「だからヤマイダレちゃんはダメなんだよ」って友人達に全否定された。
私は皆と話も合わないしとにかく空気が読めないからウザかったんだと思う。
もし普通校みたいに週5登校だったらまた孤立していただろうな。
卒業式をきっかけに皆が怖くなった。
その後、私は新卒で入った仕事をすぐ辞めた。
悩んだ末の答えなのだが友人の一人は心底呆れていた。
また他の皆から「だからダメなんだよ」って否定されるのでは・・・いや、なんで私ばかり否定されにゃいかんのだ、と縁を切った。
だから、嫌な思い出ばかりで避けていた。
でもどんなに避けても嫌な記憶は頭の中から消えないしモヤモヤしながら生きていた。
それを今、「知ってる先生まだいるかな」とか「あわよくばOBと名乗りたい」とか特に学校や先生に思い入れなんて無いくせに色々と思いながら炎天下の中を滝のような汗をかいて学校へ向かっている自分がいるから不思議だった。
普通コースと通信制コースは校舎が離れていたが合同になったようだ。
問題が発生した。 通信制コースだった校舎は下駄箱のところに事務室があったので事務員さんに渡せばオールオッケーかと思っていた。
しかし、現在の校舎の構造がよく分からない。
なんか移動時間みたいで生徒が行き来してるし、お昼時だし汗止まらないし・・・。
先生らしき女性が歩いていたので学生証を渡したが「?」って感じだった。
そういえば電話に出た人は男の人だった。 そら何も知らないよね。
他の先生が来て、「ありがとうございます、助かります」とお礼を言われた。
内心OBアピールをしたかったのだが、そんなタイミングも度胸もなく滝汗女はとぼとぼ帰宅した。
夕方、朝電話に出たと思われる男性教員から改めてお礼の電話があった。
「本人からお礼の電話をさせる」と言われ『別にいいんですよぉ』と断るつもりが「ハイ」と返事をしていた。
後日、女の子からお礼の電話が来た。
子「あのっ、○○校の・・・ 学生証ありがとうございました・・・」
かなりテンパってる感じが同じコミュ症のニオイがして好印象。
私「いえいえッ えと、学生証、日曜に○○(地名)で拾って・・・
○○で働いてるんですか?」
子「はい」
会話が弾まない・・・
今思えば落とし物のお礼の電話をしても「ありがとうございました」しか言いようがないよね。
私「あの、私同じ高校出ててッ 通信制コースの・・・
もう10年くらい前かな だから学生証見かけて懐かしいなー思ってッ」
子「そうだったんですか?」
私「えっと、無事に届いて良かったです、勉強がんばってくださいね では失礼します」
こんな感じで通話終了。
どうにかして自分がOBと名乗りたい呪いでもかかっていたのだろうか。
彼女が学生証を落としてくれたおかげで長年心に抱えていたモヤモヤがが少し晴れた気がする。 ありがとう。