生まれて初めてモノを売った
夫から自立したい。
という事で、とりあえず漫画とゲームを売ることにしました。
私は漫画やゲーム等の嗜好品を売ったりすることに抵抗のある人間だったので、自分の変化というか心変わりに驚いています。
なんというかモノを減らす事で身軽になりたかったのかもしれません。
私は運転ができないので、出張買取サービスを利用することにしました。
午前中に段ボールを送ってもらい、夜に引き取りに来てもらう事に。
情けない話、今まで夫の相談もなしに何かに申し込んだり段取りを組んだ事がなく、引き取ってもらうまで非常にハラハラしました。
引き取りと夫の帰宅がほんと数分の差だったー! ヤバかった!
(は? 言ってくれれば車で売りに行ったのに)←実際車出してくれなかった
(こういう出張買取って売っても金にならないんだぞ? 馬鹿だなーw)
(ちゃんと調べないからだぞ ほんと馬鹿だなーw)
(は?ゲーム売ったの? いらないなら俺にちょうだいよ!)
聞こえる、聞こえる。 夫が言うであろうセリフが。
売ったモノは
~漫画~
●荒川アンダーザブリッジ 全巻
●海月姫 最終巻のみナシ
●俺物語! 1~7巻
●よんでますよ、アザゼルさん 1~11巻
●かくかくしかじか 全巻
●浅野いにおの短編集 2~3冊
●自律神経を整える本(CD付)
●あとなんか細々した本 数冊
~ゲーム~
(DS・3DS)
●くりきん ~ナノアイランドストーリー~
●頑張る私の家計ダイアリー
●がんばれ!ちびロボ
●メテオス
●ゼルダの伝説(タイトル忘れた)
●立体ピクロス2
(PS2)
●・hack
●信長の野望(タイトル忘れた)
●蚊
(DVD)
●若い頃姉に押し付けられたなんかローカルなアニメ2枚(未開封)
こんな感じだったかな。
荒川も海月姫もアザゼルさんも過去にアニメ化したし、どれも新品で買いそろえたので状態は割と良いです。
ゲームは中古で買ったもののやらなかったものがほとんど。
「くりきん」は初DSソフトで子供向けながら割と面白かったな。 子供向けだけど。
漫画がどれもこれも中途半端な巻数なのは結婚して熱が冷めたから。
若い頃の私は途中で飽きても熱が冷めても惰性で買い続けて結末を見届けたのにな。
何がショックって、海月姫の最終巻だけ見つからなかった事。(犯人は姉?)
ネットで調べる限り、どこのサービスも評判が悪くて心配・・・。
私の漫画たちも1冊1円とかになってしまうのでしょうか・・・。
後は、売れないだろう古いバージョンのExcelのテキストや古い雑誌、溜まった段ボールは古紙回収に出しました。
私の食玩やフィギュアコレクションは本棚の空いたスペースに収納。
もう眺める事はできなくなりましたが、狭いリビングを占領するより、扉のある本棚にしまわれたほうがフィギュア達も安心かもしれない。
夫は、私が自分の荷物を減らした事に気が付いていません。
そりゃそうです。 夫は本棚のある部屋すら行きませんし、本棚を空けないと中身が減った事が気が付きませんから。
しかし、茶の間に置いていた大量の食玩コレクションが無くなっている事には気づいているはずなのにノータッチ。 どうでもいいのかな。
ちなみに未だに身分の確認が済んでいません。
自撮りを載せないといけないのに免許証の顔写真を再アップするというバカみたいなミスをしたせいです。
土日挟んだせいで今どうなっているかわかりません。
ちゃんと本人確認の照合できてるかすごい心配。
30歳の誕生日で自分の価値を知る
先日誕生日でした。 とうとう三十路です。
それと同時に夫から卒業しようと思いました。
自分が思っていた以上に大事にされていなかったのです。
夫はモラハラ気質ですが、家事や料理に難癖をつけたりする程の「典型的」なモラハラではありません。
真のモラハラをパートナーに持つ人が地雷原の中で生活しているとしたら、私は常に震度2って感じ? 自分でも何を言っているかわかりませんが・・・。
まぁ、ウチの夫よりひどいモラハラ夫なんて星の数ほどいるだろうし、この程度で離婚してたら日本はおしまいなんでしょう。
でも、「浮気、暴力、ギャンブルをしないから自分は良い夫」って思ってる男性世の中に多いと思うんです。 ウチの夫も自分の事を優良物件だと思ってやがる。
かといって、離婚したくてたまらないわけではありません。
離婚して私が一人で生きていくのは困難ですから。
まず、私には自分の意思や意見がありません。 人間的に問題があるのです。
今まで自分の頭で考えず、夫に頼りっきりで生きてきました。
もしかしたら、夫もそこに嫌気がさしたのかもしれません。
相手だけが一方的に相手に不満を抱いているわけではないと思うのでお互い様かも。
ただ、少しずつでもいいから強くならないといけないと思いました。
いざという時一人で生きていける力も大事ですが、まずはできる事から。
とりあえず身軽になりたくて、私は漫画を売ることにしました。
母にプチ整形を勧められた話
またまた「毒母ですが、なにか」の感想です。
何故あんなにも恵まれた両親からモンスターなりつ子さん(主人公)が生まれたのでしょうか。
私の母は、りつ子(主人公)の様に教育ママでもステージママでもありませんでしたし、母自身学のある人ではなかったので、勉強でうるさく言われる事はありませんでした。(むしろ放任なくらい)
しかし、教育とかには疎いくせに人一倍見栄っ張りな所があったので、母も大きな環境の変化があったら、りつ子までは行かなくともあんな感じになっていたのかもしれません。
まぁ、りつ子さんとは大分ベクトルの違う母ですが、なんでこんなにも心がザワつくのでしょうか・・・。
りつ子は娘(星良)を悲願である慶應に入学させた次は、「慶應卒の女子アナ」に仕立て上げようと、過食とリスカでボロボロな娘をプロデュースします。
ダイエットと芸能界デビューは星良の意思でもあったので、母娘の努力の賜物だったと思うのですが、次にりつ子は星良に二重瞼の手術の話を持ち掛けたのです。
実は、何度か母に二重瞼の手術を勧められたことがあります。
私の瞼は腫れぼったく、目は柿の種のような形で、非常にコンプレックスでした。
この一重瞼は母の遺伝で、父に似た姉の瞳はクリッとした二重瞼。
当時は今ほど性能の良いアイプチもなく、ダイソーで売っている二重瞼シールをハサミで切って形を整えて貼る方法で二重の癖付けをしたものです。
ハサミで形を微調整するのは結構大変。 指で触りすぎて粘着力が落ちてしまったり、連日の私用で瞼がかぶれてしまったり、なかなか二重にならなかった。
今思えば、私以上に母が二重瞼に執着しているようでした。
母曰く、寝起きの私はたまに二重瞼になってる事があって、「二重瞼の方が可愛い」とやたら母に言われてきました。
そして、小学校高学年くらいからでしょうか。「プチ整形」という気軽に二重瞼やらヒアルロン酸やら注入できる時代になってきたのは。
中学生になった頃、母が言うのです。
「目、二重にしちゃいなよ。 安くできるし。 埋没法って言ってね、切らないで二重にできるんだよ。しかも日帰りよ? 二重の方が可愛いよ。」
プチ整形とはいえ整形手術は批判の強いもので、「親からもらった体に~」というお決まりの道徳めいた思想があります。
特に美を売りにしている芸能人は一般の人間と生まれ持ったモノが違うのだから、「養殖モノ」でなく「天然モノの美」でないといけないような風潮は今も根付いている気がする。
でも、私は「母から整形を許可をしたことで娘のコンプレックスを開放させたい」のだと良い方に解釈していました。
でも、私は最後まで反対でした。
「整形なんて嫌!」という程の強い拒絶ではなく、なんとなくですが「したくなかったから」。 それに当時父が無職で、私も不登校児という状況でしたし。
いくらメスを使わなかろうが、格安で施術できようが怖いものは怖かったから。
夕方のニュースで「日帰りプチ整形!」なんて特集が組まれるのと比例して、「プチ整形失敗」「違法クリニック」「ヤブ医者」なんて恐ろしいニュースも見てきましたから。
それに、「一重瞼の事でイジメられて苦しい!」という程の経験やコンプレックスじゃなかったから。 もし、好きな人ができた時に「瞼をいじった」と正直に言えるだろうか。
だから最後までやんわりと断り続けました。
で、小説に話を戻します。
星良は激怒しました。「なんで病気でもないのに手術しなきゃいけないんだ」
私はこのシーンでハッとしました。 当時の私にわからなかった答えがわかった気がしたのです。
結局星良は根負けし、二重瞼にした事もあってか芸能界で成功しますが、母娘の亀裂は深まるばかりでした。
小説は面白くて一気に読みました。
この小説の一番皮肉な所は、りつ子は女優顔負けの美女なのに、娘の星良は死んだりつ子の母親に似たところじゃないでしょうか?
りつ子は若干ファザコンな所があり、ハンサムな父親が全てを投げ捨ててまで冴えない容姿の母と駆け落ちした事を小馬鹿にしたような描写がありました。
りつ子の両親はとても立派な人達で、特にお母さんはいろんな人に慕われていましたが、残念ながら律子は似ませんでしたね・・・。
読み終えた頃、シチュエーションは違えど、りつ子のような暴言を母に浴びせられていた事、先ほどの整形の事を思い出して悲しくて泣いてしまいました。
おかしいなぁ、当時の自分は傷ついていなかったはずなのに。
もしかしたら、自分で気が付いていなかったのでしょうか。
「恩知らず」「娘の癖に」「アンタの為に~」・・・。
それに、私自身の事に何かと口を挟む人で、母が勝手に決める事も多く、りつ子と母がシンクロしているように感じたのです。
今思えば、母が必要以上の二重の憧れを私に植え付けようとしていた気がする。
それに、あんなに安全で簡単と言われた板埋没法で失敗したニュースを一緒に観てたのに、万が一失敗した時のリスクを考えてくれたのだろうか?
母は情弱なので、近場で安いだけでそこに決めちゃいそう、マジで。
母はよく、山田邦子の話をしました。
「山田邦子のお母さんがね、
『邦子ちゃんは目さえ二重だったら美少女なのに・・・二重にしましょう』って言ったらしいのよ。 あの顔ででよ? で、山田邦子の返しも信じられないのよ~
『私はこの切れ長の一重瞼が気に入ってるの!!』 だって。 笑っちゃうよね~」
別に母に100%の悪意があったわけではなかったと思います。
でも、少しでも自分の発言が無神経だとは思わなかったのでしょうか?
私も私で、「よくわからないけど、そういう風に言われたら気分が悪い!」と、なぜ激怒しなかったのでしょうか?
小説の解説に書いてありました。
「毒母と娘の場合、細胞レベルまで融合しているから、切り離すのが難しい」と。
そうかもしれない。 縁を切っても苦しい。
昭和女と平成女
「毒母ですが、なにか」を読んでいます。
主人公のりつ子は恨みや復讐心とかでなく、「周囲を見返したい」という上昇志向の持ち主です。
戦後間もない時代に生まれた娘が、女だてらに東大を目指したり、とにかく努力家なのですが、同情すべき点が沢山ある割になぜか応援できません。
それに、あたしはりつ子みたいに生きられません。
りつ子は、女の働き口がお茶くみ程度しかないと嘆いていましたが、平成生まれの私ですら、それが当然だと思っていました。
女の仕事はOLか、せいぜい工場の立ち仕事くらいしかなくて、就職しても2~3年で寿退社して、専業主婦になる。
年頃になれば素敵な恋人ができて、オシャレなディナーの最中にプロポーズされるものだと…。(もしくは東京タワーで)
完全にバブルのトレンディドラマ。
あたしは社員経験が3年しかなく(しかもクソみたいな時代遅れな会社だった)、事務職なんて名乗れないほどのくだらない仕事しかした事がありませんでした。
女性社員はそういうものだと思っていました。
でも、今のパート先の営業さんは、男女関係なく外回りをし契約を取ってきます。
非常に古めかしい思考ですが、女が外回りすることや、車を運転する事にカルチャーショックを受けたのです。
だって、母が言っていたもの。
「車の運転なんて女はできなくていい。車を持っていてどこにでも連れて行ってくれる男を捕まえろ。」って。
あたしは車の運転が大の苦手で、事故を起こしてしまうくらいなら一生運転しない覚悟なので、一生営業職なんてできません。
あたしは大正生まれなのでしょうか・・・。
酒の席に向いてないのですよ
パート先で退職者が出ました。 まさかの上司です。
上司と言っても同じ机の班でも仕事内容は違うし、めちゃくちゃお世話になったわけでもない、ちょっと困った距離感。
上司ねー、同じデスクの社員達に大層嫌われてたんですけど、私は特に被害を被ってないから、個人的にいなくなっちゃうの少し寂しいんですけど、そんな事言えないし、場の空気に浮かないように必死です。
問題は送別会という名の集まりがあること。
昔から、この「送別会」という会に参加して良い思いをした事がないです。
私は割とフラフラしてたので、「送られる側」として参加する事が多かったのですが、全く送る気ゼロの親しくない、むしろ嫌いな人間たちに1ミリも気を遣われる事なく2時間放置とか、本当に辛い。
前回のパート先の送別会も酷かった。 長い机の中央に配置されて、左右でグループ作ってくっちゃべってて、心底参加を後悔しました。
「行かなきゃいいじゃない」って思うかもしれないけれど、「送られる側」が行かないってめちゃくちゃ言いづらい。
おまけに前回の会は自分と同じタイミングでベテラン社員も退職したから、その添え物としてパートのワタクシが添えられたんですよ。 逃げ場なし。
もう参加費も支払ってしまったから参加するしかない。
白い犬なんて、きっと一生見えない。
「白い犬とワルツを」読み終えました。
サムは自分にしか見えない犬の正体は亡くなった奥さんじゃないか、解釈しますが、まぁ読者は「そうだろうなぁ」と思いますよね。
でも、バスの中で読み終えた頃、私は少しだけすすり泣きしました。
サムの日記もですが、奥さんに先立たれてから墓参りで一人大泣きしたり、素直に「寂しい」と書いていたり、とにかく奥さんへの愛をひしひしと感じるのです。
この小説のキャッチコピーは「あなたには白い犬が見えますか?」みたいな感じだったけど、解説にも書いてあるように「あなたは白い犬が見えるような人生を送ってきましたか?」が正しいみたい。 なんともドキリとします。
8人の子供を産んで育てて、その子供たちも両親を愛してるからサムをやや過剰に心配して、みんな自分の家庭があるのに誰も嫌な顔せずに一人暮らしの父親の世話を焼く・・・。 こんな幸せがあるんでしょうか。
私は姉と2人姉妹ですが、両親が病気になったり、例えば父と母のどちらかが先立っても、甲斐甲斐しく世話なんて焼けません。
多分押し付け合いになると思うし、姉と仲良しのままでいられる自信もありません。
特に私は、両親が好きではありません。 2月程前にLINEで絶縁宣言した程です。
母は「育て方を間違えた」と思っているでしょう。
それに、万が一私が母親になったとしても、サムやコウラ夫婦のような親にもなれません。
素敵な小説なのに、こんな気持ちになるのは何故でしょうか。
私には一生白い犬は見えないかな。
読書難航中
・・・なんというか自分に合わない作家・作品ってあるんですね。
「十二人の死にたい子供たち」は投げました。
宮部みゆきの「あやし」は自分には面白さがわからなくて投げ出しそうになったけれど、「十二人~」を投げた後だったので、半分意地になって読み切りました。
最近、気落ちが酷くてバスの中では目をつむって過ごす日が増えて、また読書から遠ざかっちゃって・・・。
読書ビギナーのくせに「本屋で買って読みたい」って3冊ほど文庫本を買いました。
(今まで読んでた本は全部古本屋で買ったもの)
思えば、本屋で小説を買ったのは何年振りなんだろう。 もしかして子供の頃?
3冊の中で「毒母ですがなにか」という小説を衝動買いしたのですが、なにせ気落ちしていた時期なので、序盤で封印して今は「白い犬とワルツを」を読んでいます。
サムは子だくさんだから今の幸せがあるけれど、私は夫に死なれたら独りだなぁ。